2013年6月27日木曜日

父が迷子になりまして


余談になりますが、前回触れた家族旅行の思い出話を1つ話したいと思います。
これは、まだ妹が父が離職することを知らず、穏やかに家族団欒を楽しんでいたころの話となります。

3月下旬、私は先に就職活動で東京にきていました。
母、父、妹はあとから東京に来て、私と合流するという流れでスタートします。

新幹線改札口。
青空のような水色の服を着た人がいました。父です。

母が見繕ったようで、
「目印になっていいでしょ」とのこと。ファッションとして洋服を選ばない辺り、さすが母です。
そんな私も黄色いパーカーというスタイルで、見つけやすい親子になりました。

鎌倉と横浜あたりを見るという計画でしたから、まずは横須賀線で横浜を目指します。
ホームに行くと、父はお手洗いへ言って来ると家族から一旦離脱します。
変なタイミングです。
しかし、ホームから見える看板に、「トイレまで50m」と書いてありましたから、5分もすれば戻ってくるだろうと母も妹も思っていました。

しかし、10分経っても戻ってきません。
お腹を壊している気配も無かったので、皆で心配していました。

その時、私の携帯に父から着信が。

「どごさいったんだ!」

山形弁でどこにいるんだという意味です。
私たち3人は困惑。
ホームで別れた場所から1歩も動いていないからです。

つまり、父は迷子になりました。
信じられません。

トイレまで50mという看板があるにもかかわらず、迷子。
先行き不安で仕方ありません。

電話で説明しても中々姿を表さない父は、電車出発3分前に登場。
水色で本当に良かったです。この様な時のための対策だったようです。
遠くから歩いて来ても、父だとすぐ認識できます。
これで、やっと旅行がスタートしました。

さて、ここから色々と旅行の思い出を語るべきなのかもしれませんが、これが1番の思い出です。
私にとって、これ以上のエピソードはありません。

こんな家族が、パン屋をオープンさせることが本当に出来るのか、私の心は不安でいっぱいでした。

そして、山形に帰って、4月を迎えると、妹も父が仕事を辞めることを知ります。
祖父も祖母も知ります。

実際、その話を聞いて、混乱したのは妹でした。
中学生ですから、当たり前かもしれません。泣いて怒って、不安だったようです。
母も私も、初めは動揺を隠せなかったことですし、ほっておこうと思います。

その代わり、なんとしても、パン屋を建て、軌道に乗せようと思います。





2013年6月12日水曜日

父が会社を辞めまして


20133月下旬、父は25年勤めた会社を辞めました。理由は「パン屋になりたい。」でした。

なぜパン屋なのか。某ホテルのベーカリーに勤務していた父は独立したいという思いをずっと抱えてきたからです。
さて、この事件によって家族は騒然となります。なぜなら、父はこの事実を仕事を辞める一か月前に母に報告したからです。遅すぎます。

そして、母に報告したその約1週間後に私も知りました。本人から聞けるのかと思いきや、母が教えてくれました。父はシャイだからです。自分で決めた進路なのに自分で言うことができない、それが私の父です。

さらに、今年の3月というのは大学4年に上がる春休みだということも問題です。せめて、来年だったら私も就職し、金銭面の心配もいらなかったはずです。

また、父が会社を辞めることを予想していなかった母は、3月の中旬に10年ぶりの家族旅行を計画。
出費はかさみます。

全く、一家の大黒柱が自ら職を失うタイミングではないのです。

それでも、父の中では今がベストなタイミングということらしいので、これはもう仕方がありません。

しかし、このバッドタイミングがベストタイミングに変化しつつあります!
私が東北芸術工科大学デザイン工学部建築環境デザイン学科に所属していることがきっかけです。
 
3月中旬、所属ゼミの先生に父が仕事を辞めた経緯をお話しすると、
「お前が受注して、設計しろ!」
とのこと!
これを間に受けた私は父に報告。
東北芸術工科大学とコラボレーションできるとなって父も大賛成。
 
 
私は、これを自身の卒業設計と課しました。

父のパン屋をオープンさせ、軌道に乗せることができるのか、父と娘の奮闘記が今始まろうとしています。