2013年12月17日火曜日

懐かしの味が復活いたしまして


懐かしの味って何?

それは、私個人の思い出の味になります。

カラパンでは、「Wあんぱん」なるものがあります。
粒あんとホイップクリームの2つの餡が入っていることから、Wあんぱんと名付けられました。

実は、このWあんぱんはカラパンが初めての出品ではありません。
父がまだ山形市円応寺の工場で働いていた時代、そちらの店舗で販売していたパンなのです。

幼少期、シチュエーションなどの記憶はうろ覚えですが、あんことホイップクリームの絶妙なバランスが美味しかったことだけは鮮明に記憶に残っています。

いつの間にか、どこで手に入るのかも分からず、食べられなくなったメニューと思っておりましたが、まさかカラパンで復活するとは思っていませんでした。

懐かしい幼少期の味。
皆さんにもぜひ一度召し上がって頂きたいです。

味は4種類。
粒あんとじんだんとゴマのあんこと
粒あんだけれど、ホイップクリームが抹茶味になったものがあります。

お好きな味をお試しください。


2013年12月10日火曜日

家族でオープン迎えまして


7日のプレオープンの勢いを受けて、10日も勢いあるオープンをすることが出来ました。

笑顔の消え失せていた父も、本来の自分のリズムが戻ってきたようで、半年というブランクから抜け出しつつあります。

始めは、「一人でする!」と意気込んでいた父ですが、パンは生き物ということで、なかなかレジ打ちと調理作業の両立は難しいようです。
発酵しすぎないか心配でしかたないと常々言っております。
そして、もはや居て当たり前というように、母と私と妹が人員として駆り出されるのです。

家族が揃うため、ああでもない、こうでもないと家族で話し合いながら様々なシステムを構築していくことが多くなります。
トレーをふくのはこれね!
ここに照明が当たっていたほうがいいよね!
パンによって並べ方を変えたほうがいいよね!
などなど様々な意見が出てきました。

さらに、パン屋の作業に慣れてくると、いろんなことが見え始め、意見の衝突もあったりします。
特に、母と私は今思うと酷かったです。笑

「なんでそんなこというんだず!」
と山形弁で白熱トークということもしばしば。

家族喧嘩を仕事場には持ち込みたくないと心底思いました。

しかし、この国会議員同志の罵声の浴びせあいのような場面も時にはいいことがあったりします。

「このままじゃ美味しくないけど、チーズ増やしたらいいんじゃないの?」

など新商品が生まれるきっかけになるのです。

「明太子のパンが食べたいよ!」

私は勢いに任せて、実際に吠えてみました。
すると、父は「よし」と作ってくれました。
素人の意見なのにいいの?とつっこみたかったですが、私自身食べたい気持ちが強かったのでそのままにしておきました。

そして出来上がったのがこちらの明太子リングです。



明太子とマヨネーズの風味が濃厚で病みつきになります。
自分の意見が採用された喜びあるパンです。
ちゃっかりおすすめしてしまいました。




2013年11月27日水曜日

父がパン屋になりまして


とうとう、このブログタイトルが現実となりました。

私は、頭のどこかで、本当はパン屋なんて運営できないんじゃないかと半信半疑だったのです。

11月7日のプレオープンも人なんて全然来なくて、田中家のパン屋人生1日で終了してしまう。
そんな考えばかりでした。

しかし、11月5日、予想していなかった出来事が・・・。

山形コミュニティ新聞の取材です。

どこから情報を得てきたんだ?それが第一印象でした。

メディアに疎い私たち親子は完全に天狗で、ほいほい取材を受けました。

「東北芸術工科大学の学生である娘が設計をしたんです~。」
「山形弁がパンの名前になってるんですよねぇ~。」

親子そろってでれでれ。今考えると、お恥ずかしいばかりです。

でれでれだった私たちは、山形コミュニティ新聞の発行日が翌日の6日という事をすっかり聞き逃していたのです。

まさか翌日なんてねぇ、ありえないよねぇ、あはは。
そんな気持ちで迎えた6日。プレオープンが7日という事までばっちり掲載されていました。

呑気なのか、ただ事態の大きさを把握しきれていないのか、私も父もコミュニティ新聞に載っても混まないだろうと思っていました。

母だけは、「あなたたちはわかっていない。」と一言。

7日プレオープン当日。混まないと高をくくっていた私は10分前にオープン準備に店舗に出勤。
まだパンも棚に並んでいないという事態。まあなんとかなると思ったその時。
よく見ると、外にはお客様が並んでいる姿が!

そこでようやく気が付くのです。山形コミュニティ新聞の影響力に。

そこからはてんやわんやの大騒ぎです。
パンを並べなくては、トレー・トングは量が足りるのかとやきもき。

いざオープンすると、楽しみに待ってくださっていたお客様たちがたくさんパンを買っていってくださる。
「もうパンが足りない、早く焼いてお父さん!」
実際は、発酵時間の兼ね合いで直ぐになんて提供出来ないため、ご購入できなかったお客様もいらっしゃいました。申し訳ありませんでした。

そんな状態で厨房で父は追われに追われ、笑顔が失われるほど必死。
私も母も、準備の甘さを痛感。

プレオープンは嵐のように過ぎ去りました。

この場を借りて、山形コミュニティ新聞の皆様に感謝申し上げます。
おかげで、プレオープンからたくさんのお客様に、カラパンのパンを召し上がって頂けることとなりました。

2013年11月15日金曜日

Facebook開設しておりまして


もしかしたら、もう皆さんご存知かもしれませんが、Facebook「カラパン」運営中です!


これまで、ブログでご紹介していた工事の内容をその時その時で更新していました。
写真もブログよりたくさんUPされていますので、是非ご覧ください。


さて、なぜこのタイミングなの?
と思われるかと思いますが、とうとうベーカリーカラパンオープンしました!

オープン10:00〜
定休日は水曜日です。
ご予約は現在承っておりません。

場所は山形県山形市西江俣3-48です。

とても分かりにくい場所にありますが、隠れ家のようなパン屋にしたいと思います。
車でご来店されることは勿論、近くの方は散歩がてら立ち寄ってみるのもいいかもしれません。
地元地域を改めて再認識するいい機会になるかもです。


Facebookページ「カラパン」
https://www.facebook.com/karapaaan



 

2013年11月9日土曜日

我が家に警察がやってきまして

開店早々何やらかしたんですか!と言われてしまいそうですが、
人助けならぬ、犬助けをしようとしたまでです。

何のことかというと、完了検査にむけて、こまごまとした作業を行っていたころの話。

父は最近、工事を見ていたり、打ち合わせの電話をしたりと、外にいることが多くなっていました。
ご近所の方も、工事が気になるのか、外に出てくることが多く、ご近所の会話も半年前より増えてきました。

そんなあるとき、4軒となりの幼馴染のおばあちゃんは、犬を連れてやってきたのでした。

「この犬みおぼえねぇが~」

父は見たことがなかったので「ないな~」と素直に答えます。

すると斜め向かいのおばさんが、「この犬はここら辺で見ねな!別なとっから迷い込んできたんだべ!」

となぜか突然会話に参入。

「ちょっと、警察呼んで、飼い主ば探すべ!」

とまで話を発展させてしまいます。
父は、空気を読んでしぶしぶ110番。

これで安心とおもったおばあちゃんとおばさんは、父に犬を任せて帰ってしましました。
なんて勝手な人たち。でもこれが地域を支えるおばあちゃんパワーなのです。

父は見たこともない犬と警察を待つはめになりました。

そんなとき、2軒となりのご近所さんが帰ってきて一言。

「あら、うちの犬逃げ出しったけのが~。みででけでありがどさま~。」

!!!!!!!!

なに?!2軒隣の家の犬だって?

父は内心そう思いながら、
「迷子の犬じゃなくていがったっす~。」
そんなことを言いながら、犬と別れました。

なんてことでしょう。警察が来る前に事がすべて解決してしまいました。

残されたのは、父のみ。

その後、無事警察の方がいらして、全貌を伺い、帰って行きました。

2軒隣の犬の顔くらい覚えておけよ!という警察の方からの声が聞こえてきそうですね。

2013年11月8日金曜日

カラパンの顔ができまして


お店の顔といえば、看板。
看板がなければ、ただの小屋ですからね。

友人にロゴをお願いしたていましたが、8月にはもう原型が出来上がっていました。
早速発注です。

と思っていたのですが、山形市にはたくさんの看板・広告の店舗が存在しています。どこにすべきなのか迷いに迷ってしまいました。

遠いよりは、近いほうが、余計な費用がかからないのではないかと思い、山形市円応寺の大場美術広告の大場さんにお願いすることにしました。

実際、店舗にデザインを持って行き、理想になるべく近く表現できるのか伺ったところ、はいと一つ返事で快諾。

私がここにしようと決めた瞬間でした。

その実際の看板がこちら。


デザインはご覧の通りです。
可愛いデザインをありがとうと友人に感謝感謝です。

実際のロゴはバックがブラウンなのですが、折角、外壁がブラウンなので、外壁を生かしてクリアアクリルで作成してもらいました。

店舗の顔も整ったところで、カラパンの工事全般は終了です。
あっという間の2ヶ月でした。

いよいよ、オープンに向けて稼働し始めます!
パンの紹介なども今後行っていけたらいいなと思っています。
楽しみに待っていて下さい。


2013年11月5日火曜日

中身も理想に近づきまして2


前回に引き続き、内装についてお話します。

石膏ボードが貼り終わると、クロス貼りが始まりました。


狭い店舗ですから、光が反射しやすいように、壁、天井は白くしました。
 
外観とは正反対です。
 
大工さんもこんなに真白くなるとは思っていなかったらしく、「これでいいの?」と聞かれました。
私としては、良いほうに想定外だったので、「いいんですいいんです。これがいいんです。」と説明にならない説明を話をしていました。


 
完成した内装
 
 
床は、家具がコンセプトカラーのダークブラウンとオレンジを基調としているので、床も家具と合わせることにしました。
家具は、斜めを基調としています。
なんて使いにくそうな形!と言われてしまいそうですが、なーんにも考えずこの形に落ち着いたという訳ではないんです。
パンを販売する際、40アイテムは陳列したいという要望から、お客様がすれ違えて、尚且つ商品も沢山をける形を自分なりに考えた末、こうなりました。
 
建築の図面は書き馴れていますが、家具図は初の試みだったので、分からないことだらけでした。
ボルト?え、そこも指定しなきゃ駄目なんですか?など、1/15のスケールにすべて落とし込む作業は脳の使い方がいつもと違います。
 
ちなみに、家具の素材は、ポリ合板でできています。
とにかく種類が豊富。イメージに近いものがありすぎて迷いまくりです。
 
ここまできたら、さあオープンまでまっしぐらです。
 
 
 
 
 
 


2013年10月29日火曜日

中身も理想に近づきまして

外装の次は内装です。


角材だけの状態
断熱材を入れたところ


規模が小さいということもあるのかもしれませんが、とにかくテンポよく進んでいきます。
まだかな、なんて思っている次の瞬間には終わっていたり、と毎日新鮮でした。

この段階で、コンセント位置や照明位置は確定となります。
変なところにコンセントが無いか、照明の位置は合っているのか、現場監督です。
外壁のときも現場監督していましたが、ここはさらに気合いを入れていきます。

なぜなら、イメージの共有が中々うまくいかないからです。

「ここに、照明はこないんです。」
「コンセントはここには必要ありません。」

など、意思表示を沢山しました。

業者さん側でも色々考えてくださってのことだったので、意見しにくいなぁなんて思っていましたが、ここは学生といえどデザイナー!という根拠のない自信をもって対等に立たせてもらいました。




上の写真は石膏ボードを張り始めたころです。

何も壁がないところから、およそ10日間で石膏ボード取り付けまで進みました。
大工さんあっぱれです。プロからしたら当たり前なのでしょうか。個人的には驚きの速さです。

今回、店舗の梁をむき出しにしているのですが、石膏ボードが貼りにくそうでした。
外壁に引き続いて中でも、大工さんにご苦労かけました。

今回はここまでにしたいと思います。
次回も内装について書かせていただきます。
照明なども入ってぐっと店舗らしくなるはず・・・です!










2013年10月26日土曜日

見た目が理想に近づきまして


木工事も終わり、次は屋根と外壁に移ります。

ここから、実際に私のイメージした色が入っていきます。
色が入ることで、ぐっと建物らしくなり、自分の模型が現実に移り変わっていくドキドキでいっぱいです。

模型ってなんだっけという方は、祖父が乗り気になりましてを参照ください。

見積もりっで「この外壁材は高いよ。」と言われ続けてきたけれど譲らなかったくらい、外壁は今回のこだわりの一つであります。
どうしても、本物の木材で作り上げたかったのです。

色は、ウォルナット(ブラウン系)とシーダー(オレンジ系)という色を塗ります。

ということで、写真をご覧ください。

塗装途中の風景
私のイメージ通りの発色と木材の質感に、外壁工事中は毎日「イメージ通りです!」と大工さん達をべた褒めしていました。職人さん達のお力がなければ本当に実現できなかったなとしみじみします。

そして、屋根ですが、上の写真の破風と雨どいから分かるように、全面オレンジです。


この色にしたかった!という色がサンプルカラーの中にあり、よっし来てるなと思った記憶があります。
それでも、実際、貼ってみるまで、外壁と屋根の色合いがずれていたら・・・と不安もありましたが、大工さんも驚くくらい違和感はありませんでした。ひとまず安心。


今回の外壁工事で、大工さんに申し訳なかったことが、道路側に面する壁の窓をランダムに設計してしまったことです。
今回使用した外壁は、一枚一枚フローリングのようにはめていかなくてはなりませんでした。綺麗な縦縞を表すには、いちいち窓と窓の間の寸法を測り、裁断し、貼るという作業の繰り返しで、大工さん達も作業が面倒くさ、いや大変そうでした。

「あれ?今測った寸法なんぼだっけが~?」なんてセリフが飛び出すほど、数値はこまごまとしています。
そんな、デザインをしたのは私です、嫌にならず毎日来てくださってありがとうございます。
私なら、文句言って逃げます、ごめんなさい。
そんな気持ちでした。

まあ、申し訳ないと思いつつも、「窓を規則正しく開けろ。」と言われたら、即座に「嫌です。」と言ってしまうんでしょうけど。

そんなことを考えているうちに、窓のややこしさも乗り越え、無事に終わりました。
完成の写真は、建物すべて終わった時にお見せします。少々お待ちください。



2013年10月8日火曜日

父と躯体を眺めまして

今回は木工事についてお話します。

とにかく柱が建つまで、梁が架けられるまでが早いです。
毎朝起きるたびに「おおっ!屋根までもうある!」など感動している毎日でした。

基礎だけだと空間がどのように広がるのか感覚として捉えづらかったのですが、柱があることで狭いのか広いのか体感できるようになりました。


木工事途中

工事に入る前に決まっていたことではあるのですが、法律や保健所との兼ね合いで、洗濯機置き場が更衣室に変更になりました。

父と躯体を眺めながら、実際にその場に足を踏み入れてみました。
元は、洗濯機置き場。つまり、0.65m²ほどしか面積を確保していませんでした。
そこを更衣室に変えるなんて狭すぎます。
頭では分かっていましたが、木工事を終えて見てみると、笑ってしまいました。
人ひとり立つのでやっとじゃないか!
誰もがそう思われる空間です。

法律をかいくぐるためとは言え、なんだかなぁの一言です。
私が元からこのようにデザインしたという誤解だけのないようここで宣言しておきます。
これは、法律をかいくぐるための致し方ない手段です。



さて、木工事も終わり、窓をはめ込む工程に入ります。
今回、道路側に面する外壁には、ランダムに嵌め殺し窓が設置されるデザインになっています。


壁も何もない状態ですが、窓があるだけでぐっと建物らしくなるなと感じました。
毎回思うのですが、電信柱が邪魔です。
どうにかならないのか悩ましい日々です。

さて、次回は外壁、内壁工事に進みたいと思います。



2013年9月25日水曜日

ひとまず基礎が出来上がりまして

百聞は一見にしかずということで、まずは写真を見て頂きたいと思います!


 
 


 
 
ざっと見て頂きましたが、いかがでしたでしょうか。(PCの不調なのかキャプションがなくて申し訳ありません。)
基礎工事が始まって、2週間でここまで完成しました。普段現場にいる方にとっては当たり前なのかもしれませんが、現場というものに初めて出くわした私は、早い!と感じてしまいました。
 
7枚目の写真は、父と現場のおじさん達との談笑の1コマです。おじさん達はとても元気です。
お話しすることが大好きなようで、時々すごい笑い声が聞こえてきます。
私も最近、設計者として認識していただけるようになり、顔を見せると「お疲れ様~っす。」とお声をかけて頂けるようになりました。
 
さらに、普段、早くても10時起床だった私の生活が、8時半から始まる工事のおかげで、健康的なサイクルに変貌をとげていました。東に昇る太陽を見たのは何か月ぶりだったでしょうか。気持ちがいいものです。
 
さて、次回は木工事についてお話ししたいと思います。
 


2013年9月12日木曜日

母がホットプレート買いまして

4月、未だデザイン決定に奔走していた時の話です。

パン屋を始めるにあたって母が取った行動があります。

ホットプレートを買ったことです。


我が家にはホットプレートが長年ありませんでした。
生まれた時からなかったので22年は少なくともありませんでした。

自宅で、お好み焼きをしたり、焼き肉をやいたり、みんなで何かを囲んで食べるという習慣がありませんでした。
カセットコンロと鍋も3年ほど前に初めて購入したというくらい、同じ釜の飯を食う文化は我が家にはなかったのです。

鍋を買ったのだから、ホットプレートも欲しい。

それは母がよく言っていたセリフです。
個人的には、そこに投資しなくてもいいんじゃないかと思っていたので、あまり乗り気ではありませんでした。

しかし、今回母の中では、今が買い時だったようです。
パン屋を建て、自営業になるということは、簡単に外食できなくなると考えたのでしょう。

「もう外で焼き肉は食べられないから、家でホットプレートを使って食べるの。」

そういう理由で今年4月、我が家に初のホットプレートがやってきました。
とりあえずでかいな。
それが、初めて対面した時の感想です。


初めてホットプレートを使い食事をする日。
私は焼き肉かな、お好み焼きかなと小学生のように夕飯を楽しみに帰宅しました。
初めての経験はいくつになっても心躍るものがあります。

ダイニングに行くと、ジューといった音が聞こえます。
焼き肉だったのかとダイニングに入っていくと、


そこには大量の茶色い焼きそばが拡げられていました。


えー・・・・・。

外食が出来なくなるから買ったんじゃないの。
なんか初ホットプレートが焼きそばってなんか違う。

内心複雑な気持ちでした。

「試運転だからいいの、いいの。」

母は言います。
いいけど、楽しみにしてきた自分が恥ずかしいなあ。
そんなことを思う1日となりました。

余談ではありますが、後日きちんと焼き肉をホットプレートで食べることが出来ました。



皆で土地を鎮めまして

タイトルを見ると、何か宗教でも始めたのかと思われるかと思いますが、なんてことはない、地鎮祭を執り行いました。

いよいよ実際に建物を建てる作業に取り掛かるのだと思うと本当に緊張します。

地鎮祭は8月某日の朝10時から始まるという事でした。
場所は自宅の目の前だから、9時に起床して間に合う。
そう思っていましたが、予定より10分遅れて起床です。
しかしまだ時間はある大丈夫だ、どれ準備でもはじめようかと思ったところ、

「早くしなさい!あなた待ちなんだから!」

母の怒声が声が聞こえてきました。
予定より20分も早く始まるなんて、想定外でした。
大学生にもなって恥ずかしいったらありゃしないとはこのことです。

そして、現場に行くと、そこには地鎮祭専用の準備が整えられていました。
ほら貝を持った和尚様がいつでもこいと言わんばかりのオーラを放っていらっしゃいました。

慌てて席に着くと、眠気覚ましにはちょうどいい大音量でほら貝の音色が響き渡ります。
近所の方々も通りを歩きながら、こちらの様子をうかがっていました。
確かに、突然地鎮祭が始まったら驚くに決まっています。

無事に工事が終わるよう、私もしっかり祈ります。

地鎮祭が始まる様子
















次は、植栽も今回移動したり、処分したりしますので、そのお祓いも行います。
こんなこともあるとわかっていたなら、事前に蜘蛛の巣を取り除いておいたのにと悔やまれるほどの蜘蛛の巣が植栽には貼り巡っていました。

そんな植栽の間を、颯爽と突き進む和尚様にプロ意識を感じました。
家族はただ見ていることしかできませんでした。

その様子がこちら















事故などが起きず、無事完成できますように。
和尚様ありがとうございました。



2013年8月31日土曜日

驚きな見積もりが仕上がりまして

建築申請を行っている間、申請が通ったら直ぐに行動に移せるよう、こちらもぼーっとしているわけにはいきません。

どんな材料を使って、どのように仕上げていくのか詳細を詰めて話していきます。
すると自然にどのくらいの予算がかかっていくかも見えてきますので、見積もりを出していただくことにしました。

プロジェクトが動き出す初めから、予算については安く抑えたいという願いがありました。
馬場正尊准教授にも相談しながら予想していたのですが
「大体、坪50万とかが、山形県の相場じゃないかな。」
ということもあり、あまり構えていませんでした。


しかし、現実はそう甘くはないものです。
予想のはるか上を行く金額が目の前に提示されてきました。


唖然・・・・。


その言葉しかありません。
肺を押しつぶされたかのように呼吸は滞り、何が起きたのか理解するため、頭はフル回転です。
本当に衝撃的でした。

そんなに多大な要求をしたのだろうか、デザインは小屋のようだと馬場准教授もおっしゃられていたし、大したものではないはず、では何がいけなかった?

そんなことばかり頭が巡ります。

とりあえず、現段階で削減できるところはないか皆で検討します。これをVE(=Value Engineering)と言うようです。

今回、意匠の面で、外壁は木材を使うということは譲りたくありませんでした。
ここを窯業系サイディングに変更すれば、80万は落とせると言われましたが妥協できませんでした。
他にも床も家具も木材で検討していましたが、店舗の維持もことも考慮し、内装は木材を使うことを諦めました。
さまざま意匠面で予算を抑えても、金額が落ちていきません。
やはり、店舗より厨房設備にお金がかかっていしまうようです。

オーブンの換気扇が特注であったり、200V電源をたくさん使わなくてはならなかったりと、住宅に比べて特殊なことが多いことが要因の一つとして挙げられます。

父も私も、諦めたくはなっかたけれど予算との兼ね合いに負けた部分はたくさんあったようです。
しかし、お盆前には私たちも、工務店側も納得のいくところまで話し合いをし、なんとか実現できそうなところに落ち着くことが出来ました。

そろそろ着工間近です。緊張してきました。



2013年8月18日日曜日

建築士に建築申請頼みまして


さて、パン屋の方はどうなっているのかというと、建築申請を依頼し始めました。

タイトルも漢字がたくさん使用されて固いイメージがあると思いますが、まったくそのとおりなのです。

平面図、断面図、立面図などデザインが決まったところで、1級建築士の方に、役所に申請するための図面を書いていただかなくてはなりません。

私は、あくまで学生の立場でしか図面を書くことができないので、ここはプロの力を借りるしかありません。

素晴らしいことに、お隣さんが工務店という奇跡に引き続き、3軒隣は1級建築士事務所という奇跡です。

さっそく、父と工務店さんと私で頼みに行きます。
とっても楽しそうに快諾。ほっと一安心しました。

ここからは、大学4年間で学んだこと以上の知識が目の前で繰り広げられるため、話を聞き洩らさないよう必死です。
課題というものは現実を想定しつつも、やはり机上の空論のひとつだなと痛感しました。

デザイン上は窓が6つだけれど、法律上7つなければ排煙が出来ない計算になる。
さらに高さは、最高高さから800mm以内でなければならない。
採光が取れる窓が少ないから、勝手口も窓とみなせるようにしよう。
などなど、法律との兼ね合いでどんどんデザインが変わっていきます。

用途地域上、決まりごとが厳しいところがあるため、妥協点がたくさんあり、どうしようかその場で決められないことがたくさんありました。

数回に分けてデザインを直していき、詳細まで表現された図面が次々に出来上がってきました。

これが実際に書いていただいた平面図になります。
感想として、1番初めに密度が濃いな、と感じました。
ザ・学生の意見と言われても仕方ないですね。
しかし、プロになるにはこのくらいの実力をつけないといけないんだ、と自信を奮起させるいい機会となりました。





このような過程を経て、現在建築申請が下りてくるのをまっている状況です。
これが終わればいよいよ着工に向けて動き出します。


 

2013年8月6日火曜日

父が生徒になりまして

さて、今回は父がパン屋を始めるにあたって新たに始めたことをご紹介します。


それは、パソコンです。パソコン教室の生徒となりました。


父は、超アナログ人間で、私が幼い頃はワープロを使って資料を作っていました。
ワープロってWordのことでしょ?とお思いになる方もいらっしゃるかもしれませんが違います。
パソコンのように画面はありますがとても小さく、キーボードはかな入力で行うというようなものです。文字を打つためだけの機械が昔はありました。
そのワープロも気が付けば機能しなくなり、父は手書きで会議資料などを作成する日々となりました。
パソコン覚えたほうが楽だと思っていましたが、父がそれでいいならいいかと私も母も干渉しませんでした。

しかし数年前、父は突然パソコンが使えないことに恥ずかしくなったのです。
理由は、同僚の方の大半がWordであることに気がついてしまったからでした。
今更すぎない?という気持ちは否めませんでしたが、父のプライドのため、ぐっと我慢です。

父はワープロでかな入力にしか慣れていなかったため、ローマ字入力が全くと言っていいほどできませんでした。
当時、私は父が苦戦していることなど知らなかったため、かな入力の切り替え方を教えてあげようなど少しも思いませんでした。
母もパソコンには疎いので、切り替え方が分からず、結局父はローマ字入力で奮闘します。
しかし、A4の資料1枚に3時間以上かかってしまい、父はパソコンを覚えることを放棄してしまいました。

けれども、今回は家族を巻き込んでまでパン屋を始めるのです。
営業の管理などさすがに手書きなどではつらいと思ったのでしょう。
さすがの父も、重い腰をあげ、自らパソコン教室に通うと決断しました。
やっと父も現代文明に近づいた、とほっとしています。

また、苦戦して気が滅入ったりするのかな、と心配していましたが無駄でした。
通い始めたとたん、水を得た魚のように、いきいきとWordについて語り始めるじゃありませんか。
新しい文明に触れたことで、脳が活性化しているようです。
ですがその話の内容も、普段パソコンを使用していらっしゃる方にとっては当然のことばかりで、今更という気持ちはやはり否めません。

しかし、楽しそうに勉強していることはとてもいいことだと思うので、WordやExcelのすごい機能とやらの話を聞いてみようと思います。

2013年7月25日木曜日

友人にロゴを依頼しまして

今回はパン屋のロゴについてです。

お店に飾るロゴをどうしようか悩んでいました。
私は建築学科に所属しているため、そんなにグラフィックについて、詳しくありません。

素晴らしいことに東北芸術工科大学にはグラフィックデザイン学科があります。とりあえず、友人に相談に行きました。

まず、パン屋の名前は「カラパン」です。父は既にこれしかないと心に決めていました。

カラパンとは、私の自宅のある通りがカラと呼ばれていることから取ったそうです。何故そう呼ばれているのか、父も私も知りません。生まれた時からそうなのです。機会があれば調べてみようと思います。

さて、友人にロゴを考えてくれないかと依頼したところ、快諾して頂けました。

パン屋のイメージカラーでもあるダークブラウンとオレンジを基調としたものにして欲しい、くねくねよりもシュッとしたデザインがいい、読みやすいほうがいい、など要望だらけで若干申し訳なかったです。
しかし、妥協はしたくありません。
ロゴについても、父にヒアリングし、イメージを友人に伝えていきます。

後日、改めて打ち合わせすると、様々な案が上がってきました。

ロゴ案
















率直に、さすがグラフィックを専門にしているなと思いました。
しかし、父と私の欲しいものは無く、再び考えてきてもらうことにしました。

果たして、どのようなロゴになるのでしょうか?
私も楽しみで仕方ありません。


2013年7月24日水曜日

祖父が乗り気になりまして

前回からデザインを詰め、この様な外観となりました。


南面オーニング


トップライト





























オーニングとトップライトが追加されました。

さて、この新しい模型と図面を持って工務店さんに!
と言いましても、お隣さんが工務店だということで、お隣さんを我が家にお招きすることになりました。
そもそも、お隣さんに施工を頼むかどうか迷っている段階でしたので、やんわり話を進めようと思っていました。

ここで、祖父登場です。
父も私も想定外の出来事でした。
祖父はお隣さんに絶大な信頼を寄せています。「よろしくお願いします。」と勝手に言いかねません。
我が家の大ボスは祖父です。
祖父には逆らえないというオーラがあります。困りました。

とりあえず、パン屋が始まることになった経緯をお話しし、図面と模型をお見せしました。
外壁は木材で、トップライトがあって、家具は特注でなどなど細かく説明していきます。
どのような施工方法でいくのかも話を進めていきます。
材料にもこだわりがあるので、仕様書も渡しました。仕様書とはどこにどの企業のどの材料を使うのかを示した書類です。

打ち合わせは順調に進んでいるように見えましたが、要所要所、祖父が介入してきます。面倒です。

対象敷地にある小屋はどうするのか、敷地内に移動するなら植木を抜かなければならないなど、後で話せばいいような話題を放り込んでくるものですから、話の脱線の連続です。
お隣さんも無視するわけにはいかず、小屋は売ったらどうかなどアドバイスしてくれます。

そもそも、頼むかどうか分からないというのにそこまで、話を具体化しないで欲しいです。

なんとか話をまとめ、見積もりを出して頂けることになりました。
それを見てからお願いするのか決めようと思った瞬間。

「んだら、忙しいとは思うげんと、よろしくお願いするなぁ~。」

祖父に先を越されました。
父も私もやられたという表情をしていたに違いないでしょう。

祖父の一存でお隣さんにお願いすることになりました。
後々のことを考えると、地域ぐるみでプロジェクトが進んでいくのは、改めてコミュニティが活性化するのではないかと考え直し、今では、父も私もお隣さんに頼むほうがいいと思っています。
お隣さん、是非よろしくお願いします。



2013年7月10日水曜日

父が施主になりまして

さて、4月半ば、家族はパン屋が始まることを納得。妹は渋々納得。
卒業設計として本格的に始動し始めました。

普段は父と娘という関係ですが、今回は違います。
施主として、私に依頼してくれているのです。

進め方として、初めはヒアリング。
どんなパン屋にしたいのか、どうしても譲れない点は何かなど、父の思いを具体化していきます。

父は、有りがたいことに娘だからといって遠慮するような性格ではありません。
自分の夢を叶えるためなら、娘であろうと容赦はなしです。

「大丈夫なんだべねぇー。」

と、怪訝そうな表情を見せることもちらほら。
私も、素人ですから、どんとこいとは言えません。けれど、素人なりに出来ることは尽くしたいと思っています。
とにかく、父を説得する毎日です。

ここで、父の要望を少しまとめてみます。

・南側に入り口
・店舗からオーブンが見える
・トップライトがほしい
・店舗よりも、厨房重視
・水回りはしっかり
・風除室がほしい
・オレンジを取り入れたデザイン
・隠れ家のような位置づけにしたい

 などなど、デザインを詰めていく上で、他にもいろんな要求が出てきます。
それをどう具現化していくか、上手くいかないときもありました。しかし、模型を駆使することで、イメージを伝えることができやすくなりました。
こんなに模型の重要さを痛感したのは、4年間で初めてかもしれません。
とは言っても、模型の出来栄えはさほどよろしくありません。本当に建築学科の学生なのか疑われる可能性があるのは間違いないですね。


そんな模型がこちら















ダークブラウンとオレンジを基調としたデザインしていこうと思います。

ここから1か月で、ある程度のデザインを固め、5月上旬に先生と父にプレゼンテーションをしました。
問題となったのは、店舗でのパンの配置。
品数はどのくらい置くのか、パンを置くのにどのくらいの面積が必要なのか徹底して考えなければならないことがわかりました。
それに伴って、お客様をどどのように誘導していくのかも考えます。

さて、どんなデザインになったのか。次回もう少し詳しくお話しします。


 

 

 


2013年6月27日木曜日

父が迷子になりまして


余談になりますが、前回触れた家族旅行の思い出話を1つ話したいと思います。
これは、まだ妹が父が離職することを知らず、穏やかに家族団欒を楽しんでいたころの話となります。

3月下旬、私は先に就職活動で東京にきていました。
母、父、妹はあとから東京に来て、私と合流するという流れでスタートします。

新幹線改札口。
青空のような水色の服を着た人がいました。父です。

母が見繕ったようで、
「目印になっていいでしょ」とのこと。ファッションとして洋服を選ばない辺り、さすが母です。
そんな私も黄色いパーカーというスタイルで、見つけやすい親子になりました。

鎌倉と横浜あたりを見るという計画でしたから、まずは横須賀線で横浜を目指します。
ホームに行くと、父はお手洗いへ言って来ると家族から一旦離脱します。
変なタイミングです。
しかし、ホームから見える看板に、「トイレまで50m」と書いてありましたから、5分もすれば戻ってくるだろうと母も妹も思っていました。

しかし、10分経っても戻ってきません。
お腹を壊している気配も無かったので、皆で心配していました。

その時、私の携帯に父から着信が。

「どごさいったんだ!」

山形弁でどこにいるんだという意味です。
私たち3人は困惑。
ホームで別れた場所から1歩も動いていないからです。

つまり、父は迷子になりました。
信じられません。

トイレまで50mという看板があるにもかかわらず、迷子。
先行き不安で仕方ありません。

電話で説明しても中々姿を表さない父は、電車出発3分前に登場。
水色で本当に良かったです。この様な時のための対策だったようです。
遠くから歩いて来ても、父だとすぐ認識できます。
これで、やっと旅行がスタートしました。

さて、ここから色々と旅行の思い出を語るべきなのかもしれませんが、これが1番の思い出です。
私にとって、これ以上のエピソードはありません。

こんな家族が、パン屋をオープンさせることが本当に出来るのか、私の心は不安でいっぱいでした。

そして、山形に帰って、4月を迎えると、妹も父が仕事を辞めることを知ります。
祖父も祖母も知ります。

実際、その話を聞いて、混乱したのは妹でした。
中学生ですから、当たり前かもしれません。泣いて怒って、不安だったようです。
母も私も、初めは動揺を隠せなかったことですし、ほっておこうと思います。

その代わり、なんとしても、パン屋を建て、軌道に乗せようと思います。





2013年6月12日水曜日

父が会社を辞めまして


20133月下旬、父は25年勤めた会社を辞めました。理由は「パン屋になりたい。」でした。

なぜパン屋なのか。某ホテルのベーカリーに勤務していた父は独立したいという思いをずっと抱えてきたからです。
さて、この事件によって家族は騒然となります。なぜなら、父はこの事実を仕事を辞める一か月前に母に報告したからです。遅すぎます。

そして、母に報告したその約1週間後に私も知りました。本人から聞けるのかと思いきや、母が教えてくれました。父はシャイだからです。自分で決めた進路なのに自分で言うことができない、それが私の父です。

さらに、今年の3月というのは大学4年に上がる春休みだということも問題です。せめて、来年だったら私も就職し、金銭面の心配もいらなかったはずです。

また、父が会社を辞めることを予想していなかった母は、3月の中旬に10年ぶりの家族旅行を計画。
出費はかさみます。

全く、一家の大黒柱が自ら職を失うタイミングではないのです。

それでも、父の中では今がベストなタイミングということらしいので、これはもう仕方がありません。

しかし、このバッドタイミングがベストタイミングに変化しつつあります!
私が東北芸術工科大学デザイン工学部建築環境デザイン学科に所属していることがきっかけです。
 
3月中旬、所属ゼミの先生に父が仕事を辞めた経緯をお話しすると、
「お前が受注して、設計しろ!」
とのこと!
これを間に受けた私は父に報告。
東北芸術工科大学とコラボレーションできるとなって父も大賛成。
 
 
私は、これを自身の卒業設計と課しました。

父のパン屋をオープンさせ、軌道に乗せることができるのか、父と娘の奮闘記が今始まろうとしています。