2013年11月27日水曜日
父がパン屋になりまして
とうとう、このブログタイトルが現実となりました。
私は、頭のどこかで、本当はパン屋なんて運営できないんじゃないかと半信半疑だったのです。
11月7日のプレオープンも人なんて全然来なくて、田中家のパン屋人生1日で終了してしまう。
そんな考えばかりでした。
しかし、11月5日、予想していなかった出来事が・・・。
山形コミュニティ新聞の取材です。
どこから情報を得てきたんだ?それが第一印象でした。
メディアに疎い私たち親子は完全に天狗で、ほいほい取材を受けました。
「東北芸術工科大学の学生である娘が設計をしたんです~。」
「山形弁がパンの名前になってるんですよねぇ~。」
親子そろってでれでれ。今考えると、お恥ずかしいばかりです。
でれでれだった私たちは、山形コミュニティ新聞の発行日が翌日の6日という事をすっかり聞き逃していたのです。
まさか翌日なんてねぇ、ありえないよねぇ、あはは。
そんな気持ちで迎えた6日。プレオープンが7日という事までばっちり掲載されていました。
呑気なのか、ただ事態の大きさを把握しきれていないのか、私も父もコミュニティ新聞に載っても混まないだろうと思っていました。
母だけは、「あなたたちはわかっていない。」と一言。
7日プレオープン当日。混まないと高をくくっていた私は10分前にオープン準備に店舗に出勤。
まだパンも棚に並んでいないという事態。まあなんとかなると思ったその時。
よく見ると、外にはお客様が並んでいる姿が!
そこでようやく気が付くのです。山形コミュニティ新聞の影響力に。
そこからはてんやわんやの大騒ぎです。
パンを並べなくては、トレー・トングは量が足りるのかとやきもき。
いざオープンすると、楽しみに待ってくださっていたお客様たちがたくさんパンを買っていってくださる。
「もうパンが足りない、早く焼いてお父さん!」
実際は、発酵時間の兼ね合いで直ぐになんて提供出来ないため、ご購入できなかったお客様もいらっしゃいました。申し訳ありませんでした。
そんな状態で厨房で父は追われに追われ、笑顔が失われるほど必死。
私も母も、準備の甘さを痛感。
プレオープンは嵐のように過ぎ去りました。
この場を借りて、山形コミュニティ新聞の皆様に感謝申し上げます。
おかげで、プレオープンからたくさんのお客様に、カラパンのパンを召し上がって頂けることとなりました。
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